今回のウイスキーは?
「タリスカー 10年」
なんでなんですかね?
やっぱり名前が「カッコいい」!!
これはこれでビックリするスコッチ!!
目次
スコッチ&シングルモルト
これもスコッチでシングルモルト!
スコットランド、スカイ島で産まれた名品!
商品のうたい文句の通りな気がします!
そして気になるお味の方は?
「タリスカー 10年」
超強烈とはいかないが、かなり強い癖!!
何て言うんですかね、グラス上ではほのかに香る正露丸臭。
しかし口に含むと一気に広がる!感じ。痺れます!
スカイ島の荒々しさを感じます!(行ったことないですけど…)
美味い!
ソーダ割 おススメ度 ☆☆☆☆☆(5段階)
タリスカー 10年
タリスカーの生みの親であるヒューとケネスのマカスキル兄弟がスカイ島にやってきたのは1827年。少し南に下ったエッグ島出身でスカイ島に羊を運ぶ仕事をしていました。
移住した後、この地で生産される大麦をより大きな価値を生み出すものにしようと、当時スコットランドで盛んに生産されるようになったウイスキーをスカイ島でも造る決意を固めます。
兄弟はロッホ・ハーポートという汽水湖の沿岸に面したカーボストに蒸留所を構え、「タリスカー蒸留所」が誕生します。タリスカーの名は、兄弟が蒸留所建設中に滞在した「タリスカー・ハウス」にちなみ名付けられたといわれ、古代ノース語(バイキングの言葉)で“Thalas Gair(傾いた大岩)”という意味があります。
蒸留所、試練の時
当時ウイスキー蒸留所のほとんどが農場の副業として運営され、スカイ島でも免許を持つ7つの蒸留所と、数十の無免許蒸留所が稼動していました。
カーボストは羊を飼うためという名目で借りることができた土地だったため地元からの反対に遭いましたが、マカスキル兄弟のウイスキー造りへの情熱と信念により、1830年に念願の蒸留所を開業。
1840年代になるとアイルランド発のじゃがいも飢饉の余波がスコットランドに広がり、スカイ島でもタリスカー蒸留所が、地元の人々の救済に奮闘しました。その最中の1843年、資金繰りに行き詰まり、北スコットランド銀行のマネジャーであったジャック・ウエストランドに蒸留所を売却。その後、いくつかのオーナーの変遷を経て、1925年に現在の形に落ち着きました。
想いは時代を越えて
1920年~40年代にかけて、大恐慌や第2次世界大戦により、スカイ島の他の蒸留所は撤退を余儀なくされ、タリスカー蒸留所にも不遇の時代が訪れます。
また、1960年には、蒸留所で火災が発生し、戦後最大の危機に見舞われましたが、当時のスタッフの再興に向けての情熱と不屈の努力により、蒸留所は2年後に復活。
創業者であるマカスキル兄弟の熱い情熱と信念は、時を越えて受け継がれ、ロッホ・ハーポートの海に面したタリスカー蒸留所は、今なお全世界に向けてタリスカーを造り続けています。
ラベルに込めた自然への想い
タリスカーのすべてのラベルに書かれている「MADE BY THE SEA」。この言葉にはタリスカーとスカイ島の自然との深い関わりを表す特別な想いが込められています。
「ミストアイランド(霧の島)」と呼ばれる厳しい海洋性気候の島で育てられてきたタリスカーの特徴は、何を措いても、まるで潮風を味わっているかのような風味にあります。
厳しい自然環境でウイスキーを造り続ける理由について、前蒸留所所長のマーク・ロッホヘッドはこんな言葉を残しています。「どんなに厳しくとも自然の力には逆らわず、荒れ狂う風雨もミストも全て受け入れます。なぜなら、それらはタリスカーの味わいを生み出す自然の恵みだからです。」
「MADE BY THE SEA」とは、蒸留所の生産者たちがスカイ島の自然の恵みと海への深い感謝を表すと同時に、生まれ故郷の自然をまさに体現したシングルモルトであることを示す言葉なのです。
海際に立つ蒸留所
タリスカー蒸留所はスカイ島のロッホ ハーポートと呼ばれる入り江に美しく佇んでいます。
「TALISKER」と書かれた白亜の壁面と紺碧の屋根のコントラストが印象的な建物は、満潮になると蒸留所の水際まで海水がせり上がり、その姿を水面に映し出します。白くペイントされた建物も、タリスカーと同様、海と深い関係にあります。
タリスカーの輸送を船で行っていた時代には、船乗りの目印となるよう灯台としての役割を持たせていたといわれています。海に浮かべられたタリスカーの樽は船に積み込まれて消費地へ。かつての出荷作業の風景が浮かぶような、海際に立つ蒸留所の建物は、どこか懐かしさを感じさせてくれます。
受け継がれるチャレンジ精神
荒れ狂う風雨と波が襲う、過酷なスカイ島の自然。大恐慌、戦争、火災など、創業以来起こった数々の試練。
タリスカー蒸留所は、数多くの逆境を乗り越え、1830年の創業から今日まで常に最高のウイスキー造りにチャレンジしつづけてきました。蒸留所にとって、このスカイ島でタリスカーを造ること、それ自体が挑戦です。ウイスキー造りに携わった、すべての人びとのチャレンジ精神は、現在も脈々と受け継がれています。
造り手であっても、あるいは嗜む側であっても、強い個性を持つタリスカーは、人びとを挑戦へと駆り立てる存在でありたい。
タリスカーは、常に挑戦し続ける人たちを応援しています。
Talisker Whisky Atlantic Challenge
人間は何故自ら危険と苦悩の世界に身を投じるのでしょうか。きっかけは1966年、世界初の1人乗りヨットでの世界一周を達成したサー・チャイ・ブライズに寄せられた1つのアイディアでした。
「手漕ぎボートだけで大西洋を横断するチャレンジ」
彼はジョン・リッジウェイと共に公園にあるような手漕ぎボートで海に飛び出し、92日間をかけて横断に成功します。それはハリケーンや50フィートもの高波、そして飢餓との戦いでした。これが現在も続く、タリスカー・アトランティック・チャレンジの始まりです。
この手漕ぎボートレースは、スペイン領 カナリア諸島のラ・ゴメラ島 から、ドミニカに近いイギリス領アンティグア島までの約3000海里以上(約5,500km)の距離を争う過酷なレースです。
世界各国からチャレンジャーが集まり、そのタイムを競います。チャレンジャーはマメがつぶれて手の皮が破れ、海水をかぶるために皮膚が荒れ、高波やサメの恐怖、そして睡眠不足や疲労との戦い続けます。
この限界へのチャレンジをタリスカーはサポートしています。