今回のウイスキーは?
「Ichiro's Malt&Grain World Blended Whisky 505(イチローズモルト&グレーン ワールド ブレンデッド ウイスキー 505)」!
今回はIchiro's Malt&Grain World Blended Whisky 505(イチローズモルト&グレーン ワールド ブレンデッド ウイスキー 505、ちょっと長いですね(*´з`)
イチローズモルトで飲んだ事のある物と言えば、これ(*´з`)
エントリーモデルのホワイトラベル。
エントリーモデルながらも人気が出るのも納得の完成度が高い一本でした。
目次
飲食店限定
「505」
この「505」たしか飲食店限定のボトルだったハズですが。
ちょろっと立ち寄った酒屋さんに定価で置いてあったので迷わず購入。
確かにその酒屋さんでは飲食店も併設されてますので、それで売っていたのかは未だに不明です。(*´з`)
「ホワイトラベル」では割とグレーン感を強く感じましたが、「505」はどんな味に仕上がっているのか気になります(*´з`)
気になるお味のほうは?
「505」
ストレート
香り モルト比率を高めただけありモルトの仄かな甘さ、「505」の名前通りの50.5度のアルコール度数ですが、そこまでキツクはありません(*´з`)
味わい ちょっとアルコールの辛みが先行しますが、香りのイメージままにモルトの甘さがやってきます(*´з`)
ソーダ割
香り 元々繊細な香りなので割るとちょっと...(*´з`)
味わい 初めは仄かな甘さを感じますが、アルコール度数の高さ故か中盤からは、アルコール感が目立ってきました。( 一一)
ストレートやロック、トワイスアップくらいが良さそうな感じです。
定価で購入できたのでラッキーでしたが、転売価格で購入していたら、ちょっとショックを受けていそうです(*´з`)
やはり、しっかりウイスキーを作っているメーカーの「定価」は目安になる物があるなと思う今日この頃でした。
どこのとは言えませんが、参考にならない定価の物もあります・・・よね。(;゚Д゚)
ソーダ割 おススメ度 ☆☆☆(5段階)
秩父蒸溜所
設立まで
ベンチャーウイスキーは東亜酒造設立者の孫である肥土伊知郎が設立した企業である。肥土の父が経営していた東亜酒造は2000年に経営不振により民事再生法を申請し、2001年に肥土は父から経営を譲り受けた。
しかし業績は回復せず2003年に日の出通商(現日の出ホールディングス)への営業譲渡を決定した。
この際、日の出通商はウイスキー事業からの撤退を決断し、東亜酒造の羽生蒸溜所にあったウイスキー原酒は引き取り手が見つからなければ廃棄するとの決定を下した。
廃棄予定のウイスキー原酒の中には20年近く熟成を重ねていたものが400樽あった。
これらの原酒について、従業員たちは「クセが強くて売りにくい」として過小評価していたが、肥土は「面白みのある味」だと感じ、将来性を見出していた。
日の出通商の方針に我慢のならなかった肥土は独立を決意し、原酒の保管場所を提供してくれるウイスキーメーカーを自ら探すことにした。
しかし当時ウイスキーは「時代遅れの酒」とみなされ売上が低迷しており、在庫の削減に取り組むメーカーが大半で、引き取り手探しは難航する。
それでも奔走し続けた結果、ついに笹の川酒造からの協力を得ることに成功し、貯蔵庫を間借りさせてもらえることになった。
この時、笹の川酒造社長の山口哲蔵は、長い時間をかけて熟成させた原酒を捨てるのは「いちメーカーだけでなくて業界の損失」、「酒の文化に対する反逆」であり「時間の損失」だ、と憤慨していたという。
山口は肥土の姿勢について「ウイスキーがどん底の時代、肥土さんは本当に熱く語っていた。その熱意に押された」と振り返っている。
一方で笹の川酒造の社内では他社の原酒を預かることに異論があった。蔵人や社員に対し山口は「ウイスキーは年を重ねるもの。一朝一夕にできるものじゃない。誰かがいつかどこかで飲む。その時うまいと言って飲んでくれる人がいればいい。廃棄というのは、そういう人を奪うってことなんだよ」と語りかけ、説得に努めた。
肥土は山口に、この原酒をベースにウイスキーを造り上げ、自ら売り切ることを約束した。
2004年、東亜酒造は日の出通商グループ入りし、肥土は同社を離れ、羽生蒸留所の原酒や自前で蒸留した原酒を使用するウイスキー「イチローズモルト」の製造・販売を目的に、同年9月にベンチャーウイスキーを設立した。
羽生蒸留所ウイスキーの販売開始
羽生蒸留所の原酒を使用した、ベンチャーウイスキー最初の商品である「イチローズモルト ヴィンテージシングルモルト1988」は2005年5月に笹の川酒造でワインボトル600本に瓶詰された。
資金難のベンチャーウイスキーにはウイスキー瓶を購入する余裕さえなかったため、笹の川酒造から譲ってもらったワインボトルで代用したのだった。
1本あたり税抜きで1万3500円という価格設定であり、当時まだ無名だった銘柄のウイスキーとしてはかなり高価なものだった。
これを売るには、ブランドではなく味で評価をしてくれるバーで扱ってもらう必要があると肥土は考えた。そこでおよそ2000軒のバーに営業を行い、2年かけて600本を売り切った。
秩父蒸留所の稼働開始
肥土はベンチャウイスキーの設立当初からの夢であった蒸溜所の設立に着手した。
建設場所には秩父を選んだ。
その理由として肥土は、自らの故郷であり支援してくれる人々がいたこと、更に肥土家などが江戸時代から日本酒を造ってきた地であり、酒造りに適した環境であったことを挙げている。
土地を確保するため、埼玉県が所有する秩父の工業団地に入居の希望を伝えたところ、県の担当者が1人で訪ねてきた。
県は実績のないベンチャー企業に土地を貸し出した前例がなかったことから、その担当者は入居を断る目的で派遣されたのだった。
しかし肥土のウイスキーにかける熱意にほだされ、その日は判断を保留した。間もなくして上司を伴って再来し、肥土から説明を受けると、その上司も肥土の思いに共感して「(ウイスキー事業を)やらせてあげたい」と感じ、再び判断を保留した。その後県庁内で議論が重ねられ、しばらくして県庁から「プレゼンをしに来てほしい」との連絡があった。
肥土はそれに応じて県庁に赴きプレゼンを行った。これが県幹部らの心を動かし、ようやく土地を借り受けることの許可を得た。
土地の引き渡しの際、県の担当者からは「結構、頑張ったから、社史を書く時には載せてね」と言われたという。
肥土は新商品の開発を進めながら2007年にベンチャーウイスキー初の自前の蒸留所となる秩父蒸留所を完成させた。
そして2008年2月に秩父蒸留所でのウイスキーの製造免許を取得して蒸留を開始した。
日本でウイスキーの製造免許が交付されたのは35年ぶりのことであった。
チーフ・ディスティラーには、2006年にメルシャンの軽井沢蒸留所で研修した際に知り合った、同蒸留所のモルト・マスターであった内堀修省を招聘した。
なおこの研修の際に蒸留した軽井沢産の原酒も、2020年3月時点で秩父蒸留所の貯蔵庫に収められている。
2011年、秩父蒸留所で蒸留した原酒を使った最初のモルトウイスキー「秩父 ザ・ファースト」を7400本出荷し、国内分、国外分ともにその日のうちに完売した。
第2蒸留所の稼働開始
2018年4月、秩父蒸留所から400m離れた土地に新たな貯蔵庫付きの第2蒸留所を着工し、2019年7月に試験稼働、同年10月から本格稼働を開始した。
第2蒸留所の秩父蒸留所からの変更点は、発酵槽を国産ミズナラ材からフレンチオーク材に変えたこと、ポットスチルを蒸気による間接式加熱から、難易度は高いが個性が生まれやすいガスによる直火式加熱に変えたことなどである。
当初の第2蒸留所の1日当たり純アルコール換算生産量は800リットルと秩父蒸留所の160リットルの5倍であり、将来的に2シフト制にすることで10倍の1600リットルとし、5年後をめどに19年3月期比で倍の20億円の売り上げを目指している。
また将来的に、秩父産の二条大麦を使用した原酒を秩父産のミズナラ樽で熟成させたオール秩父産のウイスキーを実現させたいとしている。
https://www.facebook.com/ChichibuDistillery